2015年8月25日火曜日

【学問のミカタ】 大学には「宿題」はない!?

 「心理学」関連の授業を担当する、野田淳子です。「夏休み」といえば「宿題」。連想ゲームのようですが、「もう宿題は終わった?」といったやりとりが交わされる、早くも8月も終盤となりました。 

(1)大学には「宿題」はない!?

  大学では「課題」は出されますが、「宿題」はありません。と言い切って良いものかどうかわかりませんが、個人的には「宿題」と「課題」には大きな意味の違いがあると考えています。「宿題」は与えられた問いに対応する、期待された答えを導き出すという意味合いが強いのに対して、「課題」は大まかなテーマや問題設定はあるものの、それに対してどうアプローチし、どのような結論を導き出すかは取り組む側の主体性や創意工夫に任されているのではないかと思うからです。「知を授けられる側」から、「知を生み出し、授ける側」へと転換を図ること。まさに大学教育の重要な目的の1つであり、教育面で試行錯誤しているところでもあります。

(2)大学で取り組む「課題」とは?(一例として)

 私が担当する総合教育演習(いわゆるゼミ)では、「子育て支援と家族関係の心理学」というテーマに興味を持つ学生たちが集まり、追求する価値のある問い(リサーチ・クエスチョン)を見い出し研究するべく、授業時間中の文献講読だけでなく、実際に親子とかかわるなど心と身体をフルに活用する実践を行います。前期のゼミで、例を挙げますと…

・国立市民フェスティバル「ダンボールの森」に参加

国立市民フェスティバル「ダンボールの森」

・「聞かせや・けいたろう」さんとの絵本の読み聞かせの実践

「聞かせや・けいたろう」さんとの絵本の読み聞かせ

・東村山市の「三世代交流」への参加

東村山市の「三世代交流」への参加

国分寺プレイステーションにて

 そして夏休みの課題の一つが、「国分寺プレイステーション(通称:プレステ)」へボランティアに行くことです。ここは国分寺市の社会教育施設で、認定NPO法人・冒険遊び場の会が運営する「冒険遊び場」です(詳細は会のHPをご参照のこと)。ゼミでは例年、前期に一度プレステに学生とお邪魔していて、今年6月の訪問では、学生たちは子どもたちに火の起こし方を教わって野外で焼きそばを作ったり、どろんこになって子どもたちと追いかけっこをして遊びました。プレイリーダーに見守られながら、大人も子どもも“たっぷりと豊な遊び”を経験します。

 授業なのに「子どもたちと遊んでばっかりなの?」と思うかもしれませんね。この「子どもたちと遊ぶ」という活動、実はとても奥深い営みなのです。子どもたちは手加減せず、あくまで楽しい!面白い!と思うことを全身全霊で追求し、「夢中で」=「真剣に」遊んでいます。子どもには、遊びと勉強(仕事)の区別はありません。日常の遊びや生活こそが創造的な学びの実践であり、生きることそのものなのですから。

 そうした子どもたちと遊ぶことで、学生たちは様々な気づきや葛藤を経験し、自分が「当たりまえ」だと思っていた現象を問い直しはじめます。例えば「子どもたちは自由だなぁ。この場では何をしたら良いか、どう振る舞うかを考えてしまう大人と違って、ダンボールとガムテープだけで自分たちの遊び(家、チャンバラ、衣装など)をどんどん創りだしていく」「子どもたちの間では、けんかや言い争いは日常茶飯事。すぐに止めに入ろうとしてしまう自分の対応は、良いのだろうか?」など、学生たちから様々なつぶやきが聞こえてきます。そんなふうに「当たり前」が「不思議」に変わる瞬間を学生たちは記録し、考察し、そこからより深い問いを練り上げていきます。例えば「どうしたら子どもたちと仲良く遊べるのか」という素朴な問いから、「子どもたちは目上の人に対して敬語を使うとは限らず、親密な関係性になれば目上でも敬語は使わなくなるのではないか」という「敬語利用は親密度のバロメーター仮説」を見つけて検証しようとした学生もありました。

(3)「問い」の追求を通して培う、さまざまな力

 このように、学生たちは大学で「課題」に取り組み、あらゆる現象に関して自らが設定した問いを追求する力を培うだけでなく、「自分はなぜこの現象が気になるのか」と問いを発する主体である「自分」と向き合う機会も得ています。この点は案外重要で、そこから自分の適性や進路が見つかるという場合も少なくありません。ゼミでは「支援」や「良好なコミュニケーション」とは何かを考えることも隠れたテーマとなっていますが、「子どもたちや親御さんを支援しよう、と思って関わっていたのに、気づいたら自分が彼らから教わったり、助けてもらっていた」といった自己への気づきから、相互に援助されたと思える関係の構築がより良い支援の一環となることを学ぶ学生もあります。

 「自ら体験を広げつつ、学び舎で習得した知的な道具を活用して、社会という海を泳いでいき、自分なりの教養を作り出せる人たちを生成することが教育者の使命である。そのためには知的な道具を与えるだけでなく、体験を広げる味を覚えさせ、海を泳ぐ技能と意欲を持たせ、平行して泳ぐに値する社会を形成することが必要だ」と説いた、学生時代の恩師の言葉を思い出す今日この頃。学生たちが夏休みに、どんな宝の原石を見つけてくるかが楽しみです。「宿題」などと構えずに、書を携え、外の世界へ飛び出して。面白いことをザクザク、掘り当ててみませんか?